スリランカ民主社会主義共和国大使館
ペレーラ大使は2023年1月に天皇陛下に信任状を捧呈した。
40年にわたる専門教育、研究、世界のさまざまな場所への訪問、講演の機会、スリランカと世界各国との交流の豊かな経験を持つ。
1988年からキャリア外交官として活躍し、二国間、地域間、多国間の協議において、政界、財界、学界、市民社会、メディア界の要人と繋がりを持ち、スリランカにとって重要な問題に取り組む上で重要な役割を担った。 世界のあらゆる地域での任務および研究を通じて、スリランカの国際関係を独自の国際的な視点で捉える。 持続可能な開発、テロ対策、金融・国際犯罪、紛争解決、核拡散防止、女性のエンパワーメント、食料安全保障、災害管理、気候変動などの分野に精通。
コロンボのセント・ジョセフ・カレッジで学び、クリケット及び陸上競技の学校代表を務め、特に三段跳びにおいて卓越した成績を収めた。その後、東京で1年間コンピュータープログラミングを学んだ後、アメリカにて経営情報システムの経営学士号を取得。また、その後、ニューヨークのコロンビア大学にて国際学修士号を取得。また、マサチューセッツ州のハーバード大学やワシントンDCの国立防衛大学、そしてスリランカ開発行政研究所での専門学習プログラムも修了。
スリランカ外務省に入省後、同省内で数多くの重要な職務を歴任し、ローマ、オスロ、ブリュッセル、ワシントンDC、東京の5つの首都の駐箚スリランカ大使(特命全権大使)として活躍。また、スリランカ外務省の副次官を務め、スリランカ公務員制度の特別等級において最高位にまで昇りつめた。政治、公共、文化、経済外交、行政、和解、在外スリランカ人労働者の福祉を監督したほか、世界中のスリランカ人コミュニティと密接に連携してきた。
日本語とフランス語を学んだ後、1989年から1992年まで、最初の在外勤務先となる在東京スリランカ大使館で二等書記官として勤務した。その間には、海部俊樹首相(当時)、および、秋篠宮同妃両殿下がスリランカを公式訪問された。
その後、在ニューヨーク国際連合スリランカ政府常駐代表部の一等書記官を務め、スリランカが議長国を務めた歴史的な1995年の核不拡散条約会議において、スリランカ代表として参加。ナイロビにある在ケニアスリランカ高等弁務官代理、国連環境計画(UNEP)および国連人間居住計画(UNハビタット)常駐代表を歴任。
駐イタリア大使としてローマに着任し、その間、ギリシャとアルバニアの大使、キプロスとマルタの高等弁務官、ローマ食糧農業機関(FAO)、世界食糧計画(WFP)の常駐代表、国際農業開発基金(IFAD)の理事を兼任。 また、ノルウェー・オスロにおいて、スリランカ大使として職務にあたり、スリランカの平和構築プロセスに積極的に関与した。
ベルギー、ルクセンブルク、そして欧州連合におけるスリランカ大使としてブリュッセルに駐在し、スリランカ産の水産物の禁輸撤廃と、EUの一般関税優遇制度(GSP+)の復活の交渉において主導的役割を果たす。また、北大西洋条約機構(NATO)、経済協力開発機構(OECD)、欧州投資銀行といった国際機関においても、スリランカ代表として活躍。その後、2020年末まで駐米スリランカ大使としてワシントンDCに着任し、IMFや世界銀行との協議の調整役を務めた。
駐日大使として東京に着任するまでの2年間、スリランカの史前期、政治と文化の歴史、古代からの国際関係の変遷を包含する研究プロジェクトを主導。
ローマに駐在中、卓越した功績を称えられ、イタリア共和国大統領から「イタリア連帯の星:グランデ・ウッフィチャーレ」最高位勲章(イタリア共和国において民間人が受賞できる最高位の勲章)を授与されるなど、ローマでの外交活動における功績が高く評価される。又、アメリカ・オハイオ州のトレド大学ビジネス&イノベーションカレッジの2019年度優秀卒業生賞を受賞した。
駐日大使として赴任以来、ペレーラ大使は二国間関係を強化するべく、日本政府、都道府県および地方自治体、民間企業、教育機関、報道機関との架け橋となり鋭意努力している。宮内庁、内閣府、主要省庁等の政府機関、衆議院・参議院議員、全国の都道府県知事や市長など、幅広い層の人脈を築き上げてきた。5万人を超える在日スリランカ人の福祉向上に努めるとともに、彼らの協力のもと、スリランカの経済発展に貢献するため、精力的な活動を続けている。特に、2024年1月1日に発生した能登半島地震の後、日本在住のスリランカ人コミュニティの協力を得て、親善使節団を率い、3度にわたる支援活動を実施した。その際、石川県内の9つの地域で被災された方々2,500人以上に温かい食事や物資を届けた。